ちなみに離婚歴もないので、お子さんは別れた旦那が育ててる~なんてこともありません。
よく妊娠すると、お腹にいる子が女の子か男の子で母親の顔つきが変わるといいますから、中森明菜さんの顔つきで「男の子ではないか」と予想された可能性もありますね。
ましてレースに夢中になるあまり本来の仕事がおろそかになっていたとまでいわれる状況。
「当時、売れっ子だった明菜は、マッチに多額の金品を貢いでいた。
体調不良や印税による収入確保などで、積極的な活動をしないのかもしれませんが、ファンの多くはテレビやコンサートでその姿を見たいと感じています。
交際はいつから? 中森明菜さんと結婚の噂が流れている都内の有名神社の神主さん。
破局報道も出ていませんので、もしかしたら現在もまだ交際が続いている可能性もありますね。
1989年2月にフライデーに報じられたのが、この密会写真です。
8000万もの大金を渡してしまう中森明菜さんも中森明菜さんですが、それを自分の事に使ってしまう近藤真彦さんは明らかな"結婚詐欺"ですね。
近藤がエントリーしていたクラスは年間1億円は必要だと言われていた。
その一方で、別のイメージを持つ人もいました。
海外での交流事業等、積極的に参加されている非常にグローバルな面があり、社交的な男性なようとの噂があります。
中森明菜さんの自殺未遂事件の後、年末に何故かジャニーズ事務所が用意した金屏風の前で、謝罪会見が行われました。
まあ、中森明菜さんとの騒動直後に結婚されたなら、相当なバッシングを受けたでしょう。
中森明菜さんは1995年に母親が亡くなっており、母親の死の直前に「中森家から籍を抜きたい」と事務所を通して家族に伝えたそうです。
金屏風会見から30年ほど経ちましたが、近藤真彦さんの退所を、中森明菜さんがどう思っているか?とても気になるところですね。
1983年には「セカンド・ラブ」や「禁区」などもヒットし松田聖子さんと共に80年代アイドルの代表と言われるほどの人気を得ました。
高級な車や腕時計をはめているのは経済的に余裕があるからでしょうし、アクティブという見方をすれば悪いイメージではないかと感じます。
歌手活動以外にも1992年にドラマ「素顔のままで」など女優としての活動も行っています。
そんなお母さんですが、実は亡くなっているのです。
「そこには 《さみしいねぇ…ほんとォーに…みんなに…会いたい…でも…無理かもぉー》とつづられていたそうです。
ただ、件の事務所社長がときおり、アパレルメーカーのロゴが入った大きな紙袋を抱えてマンションに入っていくのが確認された。
そもそも、ジャニーズの長として後輩に手本を示すべき50歳過ぎた大の大人が5年間も不倫を続け、相手の女性に「俺は(不倫記事を)揉み消せる権力を持っている」と言い放っていたのですから、叩かれるのは致し方ありません。
この中森明菜さんと近藤真彦さんの謝罪会見が、いわゆる「金屏風会見」として語り継がれています。