青森県内の支局・通信部• 特に八戸周辺ではデーリー東北の後塵を拝していることもあり、もともと個人新聞店や当社の子会社筋である東奥日報販売八戸支社が担っていた八戸市内(南郷区を除く)での販売は、2011年12月からは市内の販売店と業務が統合され、新設された「はちのへ東奥・朝日販売センター」が担当している。
題字の由来 『東奥』の名前の由来について、同社はWebサイト にて「定かな由来は分かっていない」ものの「(から見て)『東の地域のさらに奥』と言う意味ではないか」としており、また東奥日報創刊者であるが東奥義塾(現・)の創立者でもある点について触れている。
さらに、1969年11月1日のサービス放送開始時からATVの番組表を掲載した。
発行書籍 [ ]• 単独放送時の担当アナウンサーは基本であるが、ワイド番組内でのニュースは番組MCのアナウンサー、アナウンス経験のあるMC が担当。
1960年代初期頃まで、ラ・テ欄には、ニュース番組は番組表を掲載 せず、放送局名の下に「ニュース」の放送時間を掲載していた。
社としては(RAB)との結びつきが強く、RABテレビ・ラジオともに『』の枠がある。
社屋 [ ] 本社:第二問屋町三丁目1番89号• - 「日刊青森」から「夕刊東奥」と改題。
単独放送時は5分枠、ワイド番組内包時は3分程での放送。
1993年、が北海道文化放送に加えテレビ北海道の再送信を開始するが、青森県内の新聞社のテレビ欄にはテレビ北海道がなかったために、青森ケーブルテレビが加入者にテレビ北海道の番組表を独自に配布する形態となった。
1980年代前半頃までは、在青テレビ局と同じスペースに在青ラジオ局とHBCラジオ 及び 夕方以降の 在京ラジオ局とラジオたんぱ 現:ラジオNIKKEI の番組欄が載っていた。
」が15:50〜16:30の短縮版であることと、通常RABではネットしていない第1部臨時ネットにより16:23頃〜16:30にRABニュースとして放送された。
以後、朝番組内のローカル枠は全て、県内天気予報に差し替え。
また、テレビでは、昭和40年代頃までは、午後 概ね15時台 や22時台 及び23時の放送もあった。
(1942年1月1日 - 1945年8月13日)• 合併し寡占状態になれば、企業は融資を受けられなくなる場合に備え、新たにサブ銀行と取引しようとする動きが考えられる」と指摘している。
備考 [ ]• が担当)• その後、2008年10月1日には 県外在住者限定(青森県在住者は申込不可)のサービスである「」(有料であるが、その日の東奥日報朝刊・夕刊の紙面がパソコンで閲覧できるサービス。
7:55• この影響でラテ欄は最終面以外にも掲載される運びとなるが、秋田民放3局はスペースの都合上からか削除された。
更に、ラジオでは、開局時から昭和50年代頃までは、平日朝6時台の放送もあった。
青森放送の元アナウンサーやフリーアナウンサー。
を題材とした映画。
2009年3月までは夜の放送もあり、かつては全曜日 22:00 - 22:05に最終版が放送されていたが、2000年代に入ってからは平日22・23時台にのネット番組を放送するようになったため、平日 21:00 - 21:05(日曜のみ20:55 - 21:00)に時間を繰り上げて、ナイターオフ期間に限って放送されていた。
11:00• なお認証キーは1台のパソコンしか登録できない。
例えば握手や抱擁の習慣がないなど、日常的に人同士の接触が緊密でないこと、玄関で靴を脱ぐこと、マスクに対する抵抗感が少ないこと、普段から清潔好きで、毎日入浴すること等々いろいろな要因があると専門家が解説しているが、明確な結論は得られていないといってよい。
日曜 16時台に特番が組まれた場合、「ラジオにおいでよ! 外部リンク [ ]• 動画のニュースを毎日1本見ることができる。
「ジパングあさ6」初期は6:50 - 7:00にかけての時間帯に放送していたこともある。