さらに、バラク・オバマ大統領の第一期就任式で歌ったのは、アレサの歌手人生において記念すべき出来事となった。
アルバム発売の翌年に公開される予定だった本作だが、カットの始めと終わりのカチンコがなかったために音と映像をシンクロさせることができないというトラブルに見舞われ、未完のまま頓挫することに。
フェイム・スタジオは米国南部の新しい音楽R&B(リズム&ブルース)の本拠地で、数々のヒット曲がここから生まれていた。
スタジオ内でもめ事があり、レコーディングが突然打ち切られたのだ。
そんな中、アトランティックの元スタッフ・プロデューサーでありウェクスラーの弟子でもあるアラン・エリオットが、ウェクスラーにある話を持ち掛ける。
彼女のヴォーカルの背景には 常にゴスペルがある 荒々しく突き抜けるような部分と繊細にコントロールされた部分の両方を持つアレサのヴォーカルは、アトランティック初期のマッスルショールズ録音で既に完成されていたわけだが、単にゴスペル的だというだけでなく、アトランティックより前に在籍したコロンビア時代に学んだジャズやポップスのヴォーカル手法を自分のものにしていたから、ポップ曲もちゃんと歌えるのである。
アリスタ・レコードとの契約は2003年で終了した模様だが、2007年には過去のデュエット曲に新曲2曲を加えたコンピレーションアルバム『Jewels in the Clown』を発売。
すでに歌声は並外れて力強く、なめらかだったが、さらにピアノが加わることで、この上ない輝きを放った。
ワーナーは、権利獲得に10万ドルを費やし、映画の興行収入は1700万ドルを突破。
続く3曲「ドクター・フィールグッド」「スピリット・イン・ザ・ダーク」「スピリット・イン・ザ・ダーク(リプライズ:レイ・チャールズが飛び入り参加!)」はアレサのオリジナル曲で、ブルージーなゴスペル歌手としてのアレサが堪能できる。
ソウルの女王、アレサ・フランクリンの栄光と苦難の道 人類の歴史に偉大な足跡を残す「天才」たちの波乱に満ちた人生をドラマ化し、テレビ界最高の栄誉であるエミー賞にも輝いたナショナル ジオグラフィックのアンソロジーシリーズ『ジーニアス』。
しかしいま、スパイク・リーらをプロデューサーに迎え、長年の月日が経てテクノロジーの発展も後押しし、映画が完成したのだ。
僕自身、この「Memphis Soul Stew」は数百回を超えるぐらい聴いているが、何度聴いても新しい発見ができる名演だ。
クラブハウスイベント「We Love アレサ!」 4月5日に行われた特別企画「We Love アレサ!」には、「われこそはアレサ・フランクリンの大ファン!」と名乗りを上げる多くの人々が集まり、何とその数40人を超えてしまった。
アレサ・フランクリンの父親は著名な牧師で(本作にも登場する)、アレサは子供の頃から教会でゴスペルを歌っていたという。
1967年に「クイーン・オブ・ソウル」の名を手にしたフランクリンは、様々な分野でその名を轟かせた。
- Biography by Steve Kurutz• そして、正式にアレサ・フランクリンの家族からトリビュートアルバムに参加してほしいというオファーがあったことも明かしてくれた。
1972年1月13日、14日、ロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で 行われたライブを収録したライブ・アルバム「AMAZING GRACE」は、 300万枚以上の販売を記録し大ヒット。
アルバム『Amazing Grace』で白鳥の歌を目指したわけではなかったが、アメリカの音楽史に残るアルバムとされ、また1960年代にアメリカ音楽を変えたゴスペルとして称えられる作品となったのである。
フランクリン)の存在が大きかったのであろう。
その感動的な夜が遂に映像で蘇る。