古庄君が6:19以降であくまで高い音程で「裏声」で歌おうとしていたのに対して、今野君は1:06・1:47いずれもキーを下げているので、「地声」で問題なく歌えるのです。
これはNHKの学校放送チーフディレクターだった川島正二さんが音楽教師をしていた時に中学生の歌唱指導にてこずった経験から、変声期の子供の歌を指導する先生の為と子供自身が変声期の状態を把握する為にその過程を記録していったレコードで、その名もズバリ「変声期」。
私は、中学での音楽の授業中にこのレコードを聞いたが、わたしを含め、少なからぬ人間が、この古庄紋十郎のモノマネをしていたように記憶している。
高木先生は、私が卒業した翌年にご退職されました。
また、九鬼産業グループを経営する九鬼財閥の総帥を務め、四日市市の有力実業家として、(昭和21年)から(昭和26年)にかけて四日市の会頭(第6代)を務めた。
私が知る限り、本当に「声変わり」をしていないと思われるのは、白木みのるだけです。
声は文字に現れない抑揚や高低、そしてまたその人だけがもつ表情をもってよびかけます』 低い声のナレーションからはじまる、ちょっとミステリアスなレコードは『変声期』というタイトル。
女性だからといって、無理に「裏声」で高音を出して声帯を痛めては元も子もありません。
昭和35年当時東京放送児童合唱団員であり、ボーイソプラノの美声の持ち主だった古庄紋十郎に、12歳から15歳までの「声変わり」を見事に記録している。
ですから、喉仏が出ているのが目立つ人は、声帯が大きいので声が低めではないかと推測できます。
中学校の音楽の先生という立場は、実に、成長に伴う変化の大きな時期に、精神的、身体的な変化を観察するのに、かなり良い位置にいるように思う。
古庄君に比べて今野君の声に掠れが見られないのは、楽曲のキーを下げて、自分にとって歌いやすい音程で歌っているからだと思われます。
1961年(昭和36年)1月14日の13歳(9ヵ月後)の歌声は声変わりの始まりが分かる程度に変わっている。
1:26や1:30の「ねむ」が掠れているのに、それより高い音程の1:28・1:31「れ」が綺麗に出ているのですが、高い声が出にくいなら、高い音程の「れ」も掠れないとおかしいのです。
どうしても自分の声が受け入れられない方は、そうされるのもよろしいかと思います(佐藤かよなどは、若い頃から女性ホルモン注射をしていたそうですね)。
女声の場合は露骨な「声変わり」が少ないのですが、皆無なわけではない。
心中には願をかけ、一生の分かれ目は今ここだと死ぬまで能を捨てない覚悟をかためるほかはない。
廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』()• 毎日何かを記録するって長いスパンでみると大事な気がしてきた だからこその収支帳かあぁなるほど。
6:16以降は変声期後の声になっており、6:19「眠れ」、6:23「母の」などが掠れています。
そうだ、小学生の時に聴いた変声期のドキュメントレコード。
その後、M谷君がどこの大学へ行ったかも知りませんが。