すべての人が、皆自分だけの世界を持ち、その世界の中で必死に生きている。
天気の子では、晴れにするたびに人柱である陽菜の身体が透けていきます。
陽菜が制服を着ていた意味 ラストシーンで、陽菜は制服を着ています。
「生きるということは何を選択して得て、そして何かを犠牲にしている」• なぜなら、天気や世界がどうなろうとも陽菜の命を、生きていく事を願ったのは自分だから。
マクドナルドでバイトする陽菜は、ビックマックをこっそり帆高にあげます。
夏休み中で、父兄と一緒に訪れた親子の姿があった。
「ナゾロジー」の天気の子考察、まあ面白かった。
」と語っていました。
ティーダの方が完璧ですが、ファンタジーとして出来すぎてますねwww 帆高の方がどこか現実的なリアリティがあります。
陽菜が晴れ女になった神社に行けば会えるかもしれないと走る帆高。
それを表すアイテムがこのチョーカーだったんでしょうね。
あのとき 自分たちが世界のカタチを変えてしまった と思っていた帆高でしたが、実は、人々は順応して行きていました。
なぜなら、天気や世界がどうなろうとも陽菜の命を、生きていく事を願ったのは自分だから。
野田さんにラストでのシーンにどの音楽を使うか相談している時に改めてこの曲を聴き、「全部ここに書いてある」と衝撃を受けたそうで、そこから作品のラストシーンを振り当てあのエンディングになったみたいなんです。
陽菜「帆高っ、どうしたの?大丈夫?」 帆高「え?」 陽菜「君、泣いてる」 自分の両目から雨のように涙が溢れていることに、僕は気づく。
これも実はかなり重要だと思いますね。
それはこの「天気の子」の主題にも近いです。
あの反社会的だった帆高が大学に通うなんて! というのもなかなかの衝撃的な成長ですwwwww また、大学では、天候の変化が影響を与えるであろう農業系?の学問を勉強しているのもわかります。
雨の降り続く東京で、色々な人達が色々な願いを込めて晴れるのを求めていたことを陽菜はお天気のビジネスを通して、誰よりも深く理解していたので、 力を無くしても祈っていたのではないかと思います。
そして帆高はその決意を固めています。
刑事に追われていたチンピラが「未成年だとは知らなかった」と言っています。