一方で、六代目側は静観でしょう。
一時は、かつて所属していたにおいて「ヤマケンにあらざれば、ヤマグチにあらず」と言われるほどの勢力を誇った。
これで山口組の分裂抗争は実質的には終わりを告げることになるでしょう」 暴力団事情に詳しいジャーナリスト・溝口敦氏は驚きを交えながらそう語る。
健竜会らの六代目側への復帰を認めて、他の組に揺さぶりをかけ、神戸側を雲散霧消に追い込もうとするかもしれません」(溝口氏) 分裂に次ぐ分裂。
二代目 若中相談役・杉秀夫(健心会会長) - 後に五代目山口組若中• 「昔からそうだったと聞くが、最近では新型コロナの影響が地元の店にも出ていたようだ。
「神戸山口組に勢力異変が生じているが、井上組長の最後まで戦うという決意に揺らぎはないはずだ。
実は、中田は8月下旬に残留を主張していた傘下グループの直系組長である直参約20人に「絶縁」「破門」などの処分を通知していた。
。
山口組分裂騒動は転換点を迎えているのかもしれない。
さらに同年12月には、井上が幹部から山口組若頭補佐兼阪神ブロック長に昇格・就任している。
野崎秀夫(四代目伊藤会会長)• 黒誠会 四代目山口組から続いてきた黒誠会も初代前田和男会長は五代目山口組若頭補佐となったが、(平成5年)1993年9月に病死。
離脱するのは健竜会、妹尾組、橘会、南進会、鷲坂組、村正会、健國会、福富組、五代目春駒組、二代目明王会、池田組だそうです。
その影響は神戸山口組全体へと伝播することとなり、その後、神戸山口組の大御所親分衆の5人のうちの1人に数えられた池田組・池田孝志組長が神戸山口組を離脱し、同じく神戸山口組の立役者の1人といわれた正木組・正木年男組長が、自ら率いた組織を解散させて、神戸山口組を後にすることになったのだ。
剣政和会長が二代目会長に就任し、同年12月に五代目山口組直参に昇格し、六代目山口組発足後の(平成19年)2007年11月、剣政和会長は幹部(総本部長補佐)に昇格。
藤原組長にしてみれば、思いもよらない出来事だったのではないか」(他団体幹部) 横森若頭らが離脱したという話は、瞬く間に業界内外を駆け巡った。
そのため、報復攻撃も懸念される中での活動再開には、不穏さが感じられた。
予断を許さない状況が続いている。
1964年3月3日生の剣政和会長は若干29歳の若さで五代目山口組直系入りを果たし43歳にして執行部入りを果たす。