顔に刺青とかまでいる。
差別は武士内部、農民内部、被差別民内部にも存在した。
なんだよ、もっと劇的なヒントとかないの? 六角レンチを使って回したら開く扉とかないの? そんな都合よくありません。
父親はもちろん、全国の徳谷姓の人がこの事実を知ればすごく喜ぶと思います。
では、被差別部落として有名な京都の崇仁地区を見てみますと。
田舎なので車は必須ですが、周辺の生活インフラはそれなり充実しており、不便さは特に感じません。
被差別部落が差別用語として定着したのもこの頃からです。
1400年以上前ってすごすぎ! 1570年には長宗我部元親公によって再建されたのだとか。
高知取材はジモコロライター・ヨッピーさんの記事きっかけで訪れたんですが、 ヨッピーさんって長宗我部元親の子孫らしいんですよね。
徳谷地域の話はまだ続きがありましてね。
その理由も分かるようになりました。
『江戸の貧民』という本は塩見鮮一郎氏が『中世の貧民』,『貧民の帝都』に続いて書かれた、「貧民シリーズ」の第3弾となる、文春新書の本です。
戸籍が個人情報であると認識されて、個人情報の保護のため請求権者が限定された後も、行政書士をはじめとして専門資格者による職務上請求書を利用した不正請求事件が度々発生しています。
そして「穢れ」を元の状態に戻すために、清める人々も必要とされていたのです。
それでは今回も、前回の論拠により『裏社会の日本史』(フィリップ・ポンス著)に当たって行こう。
だから約17年前に、私が正式名称として登録してもらえるよう掛けあったんですわ。
大阪の家賃相場(80,000円)に比べれば「破格の値段」といえるでしょう。
現代でも無戸籍問題は存在していますが、当時は今以上に出生届や死亡届の無届けも多かったでしょうから、誤差も大きくなったと思われます。
家柄や出身について敏感になる人も減っており、結婚や交友関係に部落の出身であることが影響するのは、ほとんど僅かな人々の中で起こると言われています。
その時はじめて知りました。
(発音的にや、字体に「皮」や「倉」とか入っていたり、暗いイメージなの) 調べ方は、この辺にしておきます。